日本の方言はその長い歴史を反映して、まことに多彩である。「古事記」「万葉集」の時代から、方言の存在が認められる。長い歴史を経過して、方言の発展する時代もあれば、衰退する時代もあった。人口の流動も、各時代さまざまな様相を呈した。
方言の発生は、各地の独自の言語変化に由る。そのほか基層語の差、他方言からの影響の遅速なども考慮する必要がある。
方言的特色は、音韻、表記、語彙、文法、意味の各分野、さらには言語行動についても現れる。それを総合的に観望し、全国が巨視的にどのような代表的な方言に分割されるか、それを地図の上に反映させようとするのが方言区画の考え方である。
方言区画には当然各研究者の方言観が反映する。事実、日本の方言区画には諸説がある。ここでは、方言研究の母と言われる東条操(一八八四〜一九六六1884~1966)の最終案を示すことにする。本州の東西方言を分ける方言境界線の具体例を、上に下に図示した。
風土記の方言記述、万葉集の東歌・防人歌は、日本人が昔から方言に注目してきたことを示している。源氏物語にも、方言に言及した記事が見える。近世初頭、キリシタン宣教師たちの作った日葡辞書には九州方言についての言及があり、ロドリゲス日本大文典にも、全国の方言概況や東日本のことばの特徴についての記述がある。近世には各地で方言集が作られ(仙台言葉以呂波寄・尾張方言・筑紫方言など)、全国方言辞典としての「諸国方言物類称呼」も刊行された。方言をとりいれた文学作品(「膝栗毛」「旧観帖」「鄙通辞」など)も作られるようになった。
近代には、本格的な方言研究が興り、方言文学作品も多い。最近は、テレビドラマなどにもよく方言が登場する。方言は見直されるようになり、各地の方言を競う方言大会なども行われるようになった。
上図は東西両方言の対立を示す文法的事象を図示したものである。
対象は次の五項目。
(1)打消表現
雨が降るので行かない
〃行かん(行かぬ)
(2)指定表現
わたしのはこれだ
〃ぢゃ(や)
(3)形容詞連用形
雪が降って白くなった
〃白う(
(4)一段動詞命令形
明朝六時に起きろ
〃起きよ(起きい)
(5)ワ行五段動詞音便形
私はこれをあの店で買った
〃
原文親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。
—平井昌夫・徳川宗賢編「方言研究のすべて」(一九六九1969年 至文堂刊)より抜粋—