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祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

(巻一 祇園精舎)

宇多天皇より九代の後胤、佐々木三郎秀義が四男、佐々木四郎高綱、宇治川の先陣ぞや。われと思はん人々は高綱にくめや。

(巻九 宇治川先陣)

木曾殿は只一騎、粟津の松原へかけ給ふが、正月廿一日入あひばかりの事なるに、うす氷ははったりけり、深田ありとも知らずして、馬をざっとうち入たれば、馬のかしらも見えざりけり。あふれども〱、うてども〱はたらかず。今井が行へのおぼつかなさに、ふりあふぎ給へるうち甲を、三浦の石田次郎為久、おっかゝってよっぴいてひやうふつといる。

(巻九 木曾最期)

かゝりし程に、文治二年の春の比、法皇、建礼門院大原の閑居の御すまひ、御覧ぜまほしうおぼしめされけれども、きさらぎやよひの程は風はげしく、余寒もいまだつきせず。峯の白雪消えやらで、谷のつらゝもうちとけず。春すぎ夏きたって北まつりも過しかば、法皇夜をこめて大原の奥へぞ御幸なる。しのびの御幸なりけれども供奉の人々、徳大寺・花山院・土御門以下、公卿六人、殿上人八人、北面少々候けり。

(灌頂 大原御幸)

上皇 天皇 西暦 年号 月・事項 関連巻数
白河 鳥羽 一一一八1118 元永1 平清盛、生まれる 6祇園女御
鳥羽 崇徳 一一三二1132 長承1 3平忠盛、昇殿を許される 1殿上闇討
後白河 一一五六1156 保元1 7保元の乱。清盛播磨守になる 1
後白河 二条 一一五九1159 平治1 12平治の乱 1
応保 源頼政、(ぬえ)退治 4
一一六〇1160 永暦1
  • 3源頼朝、伊豆に配流
5文覚荒行
六条 一一六七1167 仁安2
  • 2平清盛、太政大臣になる
1
一一六八1168 仁安3
  • 11清盛、病により出家
1禿髪
高倉
  • 清盛の娘(徳子)、高倉天皇の中宮となる
  • 清盛、白拍子祇王を寵愛。清盛の愛仏御前に移り祇王出家。仏御前も出家
  • 大納言成親、俊寛ら、鹿ヶ谷で平家打倒の相談
1吾身栄花
1祇王

1鹿谷
一一七七1177 安元3
  • 6鹿ヶ谷の陰謀発覚し、成経・康頼・俊寛は鬼界島に、成親は備前に流罪
2西光被斬
2大納言流罪
一一七八1178 治承2
  • 9成経・康頼赦免。俊寛許されず島で歿す
  • 11中宮(徳子)、皇子(安徳天皇)を出産
3足摺
3御産
一一七九1179 治承3
  • 3文覚、法皇の御所で神護寺への寄進を強要し、伊豆に流罪
  • 8平重盛死去(四三歳)
  • 11清盛、後白河法皇を幽閉
5勧進帳
文覚被流
3医師問答
3法皇被流
高倉 安徳 一一八〇1180 治承4
  • 2安徳天皇即位(三歳)
  • 3高倉上皇厳島御幸
  • 4以仁王、平家追討の令旨を下す
  • 5源頼政、以仁王を奉じ反平家の軍を挙げるが、宇治平等院で敗死
  • 6清盛、福原に遷都
  • 7文覚平家討伐の院宣を賜る
  • 8源頼朝、伊豆で挙兵
  • 木曾義仲挙兵
  • 10平維盛ら富士川で水鳥の羽音に驚き敗走
  • 12清盛、都を京に戻す
  • 12清盛南都を攻め、平重衡、東大寺・興福寺を焼く
4厳島御幸
4厳島御幸
4源氏揃
4橋合戦
5都遷
5福原院宣
5早馬
6廻文
5富士川
5都帰
5奈良炎上
一一八一1181 治承5
  • 1高倉上皇崩御(二一歳)
  • 閏2清盛死去(六四歳)
  • 3平和盛、洲俣で源行家の軍を破る
6新院崩御
6入道死去
6祇園女御
一一八二1182 寿永1
  • 9木曾義仲、横田河原で平家軍の城長茂を破る
6横田河原合戦
(後鳥羽) 一一八三1183 寿永2
  • 3頼朝・義仲不仲となり、義仲嫡子義重を人質として差し出す
  • 4平家、義仲追討軍を出す
  • 4平経正、竹生嶋明神詣で、戦勝祈願に琵琶を弾ず
  • 5義仲、倶梨迦羅谷で平家の大軍を破る
  • 5義仲、篠原で斎藤実盛らの平家軍を破る
  • 7義仲軍都に迫り、平家一門安徳天皇を奉じて都落
  • 7平家一門、福原からさらに西に向かう
  • 7忠度、藤原俊成に家集を託す
  • 7義仲、京に入る
  • 8後鳥羽天皇即位(四歳)
  • 10平家、太宰府を落ち、四国屋島に拠る
  • 閏10知盛、水島で義仲軍を破る
  • 11義仲、後白河法皇を法住寺殿に攻める
7清水冠者
7北国下向
7竹生嶋詣
7倶梨迦羅落
7篠原合戦
7主上都落
7福原落
7忠度都落
8山門御幸
8名虎
8太宰府落
8水島合戦
8法住寺合戦
一一八四1184 寿永3
(元暦1
  • 1源義経・範頼軍、宇治勢田に義仲軍を破る
  • 佐々木高綱・梶原景季、宇治川の先陣争い
  • 1義経、京に入る
  • 義仲、粟津で敗死
  • 2義経、鵯越を坂落し、一の谷で平家の軍勢を破る
  • 小宰相、通盛の死を嘆き入水
  • 重衡捕らえられる
  • 重衡、法然上人に戒を受ける
  • 3重衡鎌倉に送られ、頼朝に対面
  • 平維盛、那智の沖で入水
9宇治川先陣
9宇治川先陣
9河原合戦
9木曾最期
9坂落
9小宰相身投
9重衡生捕
10戒文
10海道下
10維盛入水
後鳥羽 一一八五1185 元暦2





文治1
  • 2義経、屋島を攻め内裏に火を放つ
  • 2那須与一、扇の的を射る
  • 3源平両軍、壇ノ浦で合戦。安徳天皇入水(八歳)
  • 平家滅亡、宗盛父子生け捕り
  • 5義経、宗盛父子を具し鎌倉に下るが、鎌倉に入れられず
  • 6宗盛父子斬られる
  • 重衡、木津で斬られる
  • 11義経・行家、京を出て鎮西に向かう
  • 12六代、捕らえられるが、文覚の嘆願により助命
11嗣信最期
11那須与一
11鶏合壇浦合戦
11先帝身投
11腰越
11大臣殿被斬
11重衡被斬
12判官都落
12六代
一一八六1186 文治2
  • 4後白河法皇、大原に建礼門院を訪ねる
大原御幸
一一九一1191 建久2
  • 2建礼門院、大原で死去
大原御幸
土御門 一一九九1199 建久10
  • 六代、田越川で斬られる
12六代被斬

物語

鎌倉前期の軍記物語。平清盛を中心とする平家一門のめざましい興隆と栄華、政権の座からの転落滅亡の過程を、平治の乱(一一五九1159年)以後の清盛の擡頭から、元暦2年(一一八五1185)の壇ノ浦における平家滅亡、残された建礼門院徳子の往生(建久2年〈一一九一1191〉)に至るおよそ三〇30年に焦点をあてて描く。

頂点を極めるも、数々の悪行をなし、熱病に冒されて「あつち死に」する清盛。物語は以後、清盛の悪行の報いを受けるが如くの平家の公達の「生」と「死」を描いていく。死に直面してなお恩愛のはざまに揺れる維盛、「見るべき程の事は見つ」と言い、鎧を二領重ねて壇ノ浦に沈んだ知盛などが克明に描かれる。また、抜群の戦略家であった源義経、一旦は都を占拠したものの惨めに追われていく木曾義仲など、一方の源氏の大将たちにも多くの筆をさく。清盛の寵愛を受けた祇王や仏御前、滝口入道と悲恋の主人公横笛など、処々に織り込まれる恋愛・風流談も物語の眼目である。武士の時代の到来という一大転換期を生きる人物が生き生きと、時に哀感をもって語られている。諸行無常・盛者必衰の無常観、厭離穢土・欣求浄土の仏教浄土教の思想が全編を覆い、スケールの大きな物語を形成している。

成立は一三13世紀半ば頃とされる。「徒然草」に信濃の前司行長が作り、生仏に語らせたと伝えるが、成立の真相は不明である。平家物語が人々に広く浸透していったのは、琵琶法師が全国を語って歩いたのに負うところが大きい。

平家物語には多くの異本が伝わり、琵琶法師や寺院の説教師、さらには知識人らによって、多様な物語が構成し続けられたことがうかがわれる。現在最も一般的な本文「覚一本」は平家の興亡を描く一二12巻に、建礼門院の往生を記す灌頂巻を付している。琵琶法師覚一が語りの台本として定めたもので、典型的な和漢混交文で叙され、文芸的に最も完成したものとして評価が高い。この他、古態を残すと言われる「延慶本」、記事が広汎に膨れあがっている「源平盛衰記」(四八48巻)、変体漢文で記される「四部合戦状本」など、読むことに主眼をおいて生成したと見られる本もある。

諸本により記事内容も異なり、名称を異にするものもあるが、これらが平家物語と総称されるのは、すべての本が「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響あり」の句で始まり、清盛の曾孫六代の斬られ(断絶平家)、または建礼門院の往生(灌頂巻)で終わることにある。

源平の戦い

頼政・頼朝・義仲の挙兵に始まる反平氏の動きは、やがて全国的な源平の対立となり各地で激戦が繰り広げられた。平家は義経軍の前に敗走、壇ノ浦で悲劇的な滅亡を迎える。

源義経の行動

源氏系図

源氏系図

平氏系図

平家系図